聖茶まつりブログ②「脊振山の歴史」

今日は昨日に引き続き、「聖茶まつり特集」の二日目。
今回は「脊振山の歴史」についてお伝えしたいと思います。

脊振千坊聖茶まつりの詳細はコチラ

背振山からの景色
聖茶まつりブログ②「脊振山の歴史」


一、脊振山の名前
この名前の由来には諸説あります。
ここでは、その一部を紹介します。

1.栄西が宋から持ち帰った茶の種を蒔いたところ、方々から茶の木が生えてきた(よく育った)ところから「茶降山」と呼ばれ、なまって脊振山となった。
2.山の嶽上に降りた弁財天が連れた飛龍が、背を振ったことから。

ちなみに、脊振山系「蛤岳」の名前の由来は山頂にある大きな蛤岩に由来するそうです。



二、脊振山の歴史


1.脊振山とは


今いう脊振山とは標高1,055mをほこる北部九州を代表する山。
しかし、江戸~明治時代初期までは背振山山頂付近を御嶽(おたけ)、御嶽から蛤岳(はまぐりだけ)を経て東の方一帯を背振(せふり)と呼んでいました。
つまり、脊振山とは寺のある一帯の山を指す言葉だったのでゆす。

この脊振山は九州でも代表的な山岳仏教遺跡で、脊振山を中心とする天台密教系仏教活動の拠点として栄えました。

また、奈の津(博多)に向けて大陸と日本の間を航海する時の目印の役目も果たしていました。
いまでも祠に祭られている山頂の弁財天は、海の安全を願う神社として祭られています。
この弁財天、平安より以前は航海の安全を守る宗像三女神の一人、「市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)」が祭られていたようです。
この祠は、現在登山者などに向けて解放されています。

さざんか千坊館から見た霊仙寺跡
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2.脊振山の起こり

さて、「寺坊 脊振山」の起こりは和銅年間(8世紀初頭)までさかのぼり、「脊振山縁起」では地元の湛誉上人(たんよしょうにん)が開いたと伝えられています。
しかし文献の上では「三代実録」記述から9世紀後半には脊振山での宗教活動があったとみられ、
発掘調査結果によると、平安時代末には(12世紀中頃)までさかのぼることができます。

乙護法堂
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3.隆盛を誇った脊振山

港も近く、眺望も素晴しく環境に恵まれた脊振山。
肥前神埼荘(現神埼市)を起点とする筑前街道は、博多までをつなぐ重要な道路として、脊振山発展にも大きくかかわっていました。この筑前街道は現在、文化庁による「歴史の道100選」のひとつに選定されています。

平安~鎌倉時代には ”脊振千坊” と呼ばれるまでに栄え、
山頂には弁財天を祭った上宮「東門寺」・肥前側中宮の「霊仙寺」・下宮「積翠寺」(現在の修学院)からなる一山組織が成立して、盛んな仏教活動を開始、一大霊場となりました。
ここに住んだ仏僧や山伏は、宗教活動のほかに、呪術や施薬なども得意とし、当時の生活や病気で苦しむ民衆から信頼と信仰を集めていました。
また、日本茶の祖とされる栄西が宋に渡り、帰国の後中宮に位置する霊仙寺西谷、石上坊に茶種をまいたのもこの時期です。

4.戦と脊振山の荒廃

室町時代以降になると、筑前国境に位置する脊振山は、多くの戦乱・兵火に見舞われ、衰退を余儀なくされました。

戦国時代には寺領地を徐々に失い、さらには豊臣秀吉の検地により寺領地は没収されてしまいます。
衆僧も山を下り、脊振山は霊仙寺内に水上坊と五戒坊、乙護法堂を残し、廃絶に近いほど荒廃してしまいます。


5.再興と閉山

江戸時代には、鍋島家の使僧仁周や玄純たちの働きにより、鍋島藩の助力により、萬善坊などの霊仙寺東谷を中心とした九坊が再興されます。
しかしこの後、明治維新における廃藩により援助が絶たれ、長い歴史を終えて事実上の閉山となりました。


修学院
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三、現在の脊振山


現存する建物は、中宮「霊仙寺」乙護法堂1棟のみとなりました。[嘉永5年(1852年)建築](町指定史跡)
しかし一帯には一帯には建物跡や経塚、墓地などが比較的保存状態が良好な状態でのこっています。

山頂付近にある上宮「東門寺」は廃寺となりましたが、今でも祠には弁財天が祭られ、登山者に開放されています。

下宮である「積翠寺」は、現在修学院となっています。
江戸時代(慶長初期)の仁周の時代に、鍋島勝茂公の援助で佐賀藩の安泰を祈願し、佐賀城の鬼方門除けの寺として復興されました。
現在、寺として残っているのはこの「修学院」のみとなっています。
中宮「霊仙寺」では作物の宰神である「乙御善神」を祭り、上宮「弁財天」


解説:
①脊振山>寺>谷>坊 
  つまりこの文の中で言うと…坊の集まりが寺であり、寺のある一帯を脊振山と呼ぶということ。また、坊のある地方を指して谷を使う(ex.脊振山>霊仙寺>西谷>石上坊)


タグ :脊振山歴史

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2012年05月17日 Posted byNPO弥生吉野ヶ里 at 18:01 │Comments(0)イベント情報―吉野ヶ里

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